少し前まで指導員をしていましたが
今思えばバイクに乗っていなかったら指導員になることはなかったと思います。
今回は、当時わたしが指導員になったときのことについて記事にしました。
ご興味がございましたら
お付き合いください。
事故が多かった時代
わたしが指導員になったのは平成9年でした。
今思えば随分昔のことです。
当時は交通戦争と呼ばれるくらいに事故が多く、交通事故による死者が1年間で1万人を超えていました。
毎年、1万人です・・・
ちなみに昨年の交通事故死者数は3215人でした。
決して少ない数字ではないですが、25年前と比較すると、近年は大幅に減少しています。
実は指導員になる前年によくわたしのことを気にかけてくれていた会社の先輩が交通事故でなくなりました。
いきなり亡くなったことがとてもショックでした・・・
交通事故の悲惨なところは突然、人が亡くなることです。
ここから、運転に関して深く考えるようになりました。
先輩は結婚をしていて
まだ0歳の生まればかりのお子さんがいました。
奥様の泣いていた声を今でも覚えています・・・
営業職
指導員になる前は営業職をしていましたが、実際は商品を配送することがメインで、営業らしいことはなかなか出来ていない状況でした。
言い換えると人手不足で毎日、余裕がない状況でした。
余裕がない状況で運転をしていたので、かなり危ない運転をしていたことを今でも、ハッキリと覚えています。
そのまま、続けていたらかなり高い確率で大きな事故をしていたかも知れません。
先輩の事故があり、自分の運転を考えたときに転職を考えるようになりました。
当時はインターネットなどはありません。
求人情報誌をコンビニで買うような時代でした。
求人情報誌を買ってパラパラとめくっていると
本当にたまたま目に止まったのが、指導員採用の求人でした。
何か?運命的なものを感じて履歴書を送りました。
書類選考をクリアし、筆記試験にいくと大きな教室に、100名くらいの人が座っていました。
何人採用するのか?わかりませんでしたがこれは合格するのは無理だ!とその日に諦めました。
面接の案内
無理だと思っていたら、面接の案内が来ました。
1次面接で過去の違反や事故の事など基本的なことを聞かれて、あっさり終わったので、やっぱり無理だったかと諦めていたら、また連絡がありました。
最終は役員面接になると言われて
頭の中が???になりました。
役員面接
役員面接までいくとは、想像もしていませんでした。
しかも、聞かれたことはバイクの事ばかりです。
特に中型二輪の限定解除のことについて、どれくらい練習して、何回で合格したかなどを詳しく聞かれました。
その後は、ツーリングでどこに行ったかなどを詳しく聞かれました。
北海道を20日間かけて1周をした話で盛り上がったことを覚えています。
バイク好きの役員のおかげ?で採用されることになりました。
ただ、バイクの指導員からではなく四輪車の指導員からスタートすることを言われて指導員になるための試験に向けた勉強を始めることになりました。
最後までお読みいただきましてありがとうございました。もとゆき